俺がどれだけ叫んでも世界は変わらないがそれでも俺は叫び続ける

サラリーマンの俺がどれだけ叫んでも世界は変わらないが、だからといって黙ったままではいられない男の叫び

整理整頓が生み出す3つの悪癖 ~その2~

前回からの続き。

unmaunma1111.hatenablog.com

 

あなたの周りにも、きっと一人はいるであろう「整理整頓」大好き人間。もしかしたら、あなた自身がそうかもしれない。

その場合は、残念だがブラウザバックすることを強く勧める。何故なら、僕が以下で語る「整理整頓が生み出す3つの悪癖」を万一読んでしまったら、以後あなたの頭には「整理整頓」の四文字に代わり「散乱上等」の四文字が深く深く刻み込まれ、以後掃除機を手に取る度に、「こんなもの、捨ててしまおうか」と懊悩することになってしまうから。

そうなっても構わないという人、若しくは、既に解脱し悟りに入った選ばれしチラカシストのみ、続きを読むことをお勧めする。

 

整理整頓は、未知への対応力を弱める

 整理整頓とは則ち、物事を「切り分ける」ことだ。

元来世界は連続している。そこに切れ目などない。そこらを歩く野良猫も、空を糞尿垂れ流しながら飛び交うハトポッポも、海の底でじっと獲物をまつオニオコゼも、君の布団で仲良く暮らしているダニの一家も、皆世界をそのまま受け入れている。それが生来自然のあり方だった。

だが悲しいかな、人間という生き物は言葉を得て、物事を切り分けラベリングするというテクニックを身に着けてしまった。そのせいか、人間はやたらと物事を切り分けたがる。

 

特にセイトニスト達は、世界を切り刻むことに喜びを感じている狂った人種だ。「事象」とか「原因」とか「リスク」とか「プロコン」とか、ありとあらゆる切り口で切って切って切りまくる。彼らの頭の中では、どんなに複雑に絡みあった出来事も快刀乱麻を断つがごとく原子的サイズにまで分解され、人工的に並び替えられてしまう。

恐ろしいことに、人間が発明した最も愚かしい営みの一つである「仕事」という行為においては、この連続した世界を一刀両断する能力はブルドーザー並みの幅を利かせてくる。その1で挙げたように資料の整理をはじめ、何かを報告したり、また分析(まさに言葉通り!)したりする際には、切り分ける力、即ち整理する力が非常に大切だと、世の中の愚昧な大衆は思い込んでしまっている。

 

だが、私はここで敢えて問いたい。

「じゃあお前、ある日突然無人島に置き去りにされたら、ドウスルゥ?」

(突然何言ってんだ。)

(誰もそんな話していない。)

(論点どこだよ。)

そう思ったあなた。既に、下線太字でこれでもかと強調した悪癖にはまってしまっているようだ。今すぐブラウザバックすることをお勧めする。(分からずやのセイトニストのために、ブラウザバックのお願いも丁寧に下線太字にしておいた。安心して欲しい。)

 

もし、そこらを歩く野良猫に突然同じセリフを言ってみれば分かる。

僕「じゃあお前、ある日突然無人島に置き去りにされたら、ドウスルゥ?」

猫「・・・」

猫は黙ったまま、真っ直ぐでビー玉のように透き通ったその瞳で僕のことを暫く眺め、そして静かに立ち去るだろう。鳴きもせず、喉を鳴らしもせず。間違っても、(論点どこだよ。)などというくっさいことは考えていない。

猫はただ、僕の発した言葉をそのまま受け取ったのだ。発言者により恣意的に切り取られた意味を勘繰ることなく、「生」の僕の声を受け取ったのだ。だから、泰然自若としていられる。堂々と真正面から、僕の顔を眺めることができる。

これがセイトニストだったら、突然のことに面食らい、ファビョり、挙句の果てには目を伏せ、(こいつとは絡まんとこ)等といった排他的な過激思想で全身を埋め尽くしてしまっただろう。

セイトニストは、自分の常識外、秩序の範囲外からの接触に滅法弱い。なぜなら、整理というのはあくまで自分の内側に存在する秩序・体系内で行われているに過ぎず、その外からの闖入者というのは、まるで三次元の世界を通過する四次元球のように、整理することなど到底不可能な存在だからだ。

 

一方、チラカシストはどうだろう。

彼らは先ほどの猫と同じだ。同じホモ・サピエンスの系譜とはいえ、整理することから解脱した選ばれしチカラシストは、世界を「生」のままで感じ取る(ここで卑猥なニュアンスを感じたあなたは病気の疑いがあるので、速やかに富士の樹海へ旅立つ準備をしてもらいたい。二度と人間社会に戻ってくるなこのサルが)。

想像だにしなかった価値観・思想に触れたとしても、チラカシストは平然とそれを飲み込み、自らの秩序・体系を広げる。世間ではグローバル化・オープン化が叫ばれて久しいが。チラカシストからすればなんとも可笑しな話だ。こちとら既に、宇宙規模で世界と対話しているのだ。何でもかんでもglobe基準でやれば良いと考えているセイトニストの何千歩も先を歩いているのが実態なのだ。 

 

遥か未来、想像だにしなかった未知と遭遇した先に生き残るのは、セイトニストなのか、それとも・・・。

答えは既に、あなたの心の中にある。

 

整理整頓が生み出す3つの悪癖 ~その1~

あなたの周りにも、きっと一人はいるであろう「整理整頓」大好き人間。もしかしたら、あなた自身がそうかもしれない。

その場合は、残念だがブラウザバックすることを強く勧める。何故なら、僕が以下で語る「整理整頓が生み出す3つの悪癖」を万一読んでしまったら、以後あなたの頭には「整理整頓」の四文字に代わり「散乱上等」の四文字が深く深く刻み込まれ、以後片付けをしようとする度に憂鬱な気分になるに違いないから。

そうなっても構わないという人、若しくは、既に解脱し悟りに入った選ばれしチラカシストのみ、続きを読むことをお勧めする。

 

整理整頓をしていては、考える習慣は身につかない

 「ちょっと、あの資料出してくれない」

誰しも一度は言われたことがあるであろうこの一言。同僚ならまだ良いが、先輩や上司から頼まれたらちんたらもしていられないだろう。

 

セイトニスト(=整理整頓に命をかけている人。)は、大抵このような場合、ものの数十秒(場合によっては数秒)で目当ての資料を見つけ出す。

整理整頓が大好きな彼らの机の中は、いつだってラベルが貼られたフォルダが整然と並び、またPCのデスクトップ上には最小限のアイコンしか配置されていない。そんな彼らの頭のにはどの資料がどのフォルダに格納されているのかという情報が、これまた整然と並んでいる。

ドヤ顔で資料を差し出すセイトニストと、満足げに目を細める上司。全くもって気に入らない話だが、世の中のリーマンは皆この姿に憧れる。

 

ところがどっこい、チラカシスト(=散乱上等の人。大抵どこかが不潔)はそうはいかない。

机の上は、まるで生い茂る下草のように資料が一面を覆い、ところどころから一週間前に飲み終えたコーヒーの空き缶が大樹のようにそびえ立っている。抽斗の中を覗けば、あらゆる種類の書類群が一つに混ざり合って、底の見えない泥沼を覗き込んでいる気分になる。PCのデスクトップ上では、色とりどりのアイコンたちが所狭しと咲き乱れていて、もはや目のやり場もない。

当然、資料は全然見つからない。5分、10分そこら中を引っ搔き回し、漸く見つけたと思えば一部のページが欠けていたりする。歯抜けだったりした時には最悪だ。

「クソッ、一体どうすれば・・・」

そんな言葉が思わず口をついて出てしまうかもしれない。だが、そこで諦めないのがチラカシストだ。

人間は、逆境の中でこそ頭をフル回転させる。これがセイトニストであれば、機械的に資料を提出し、粛々と業務を続けただろう。だが、チラカシストは違う。彼らは頭を使って、どうすれば目的の資料に辿り着けるのかを必死に考える。脳に汗をかいて、解決策を模索する。

昔、凄い誰かが言ったらしい。

「人間は、考える葦である」

チラカシストこそ、考える葦だ。

考えて考えて考えて・・・。一つの結論に辿り着く。

自分の目的は、資料を手に入れること。別に、自分のPCや机からそれを見つけだせ、とは一言も言われていない。資料がどこにあろうと、アクセスする手段があり、それを理解していればそれで良い。

つまり・・・。

チラカシストは駆ける。狭い机の間をすり抜け、アツアツのお茶をもった派遣のおばちゃんを躱し、更に前へ。

向かった先は、同僚のデスク。セイトニストである彼の机は整然としていて、PC操作にも無駄がない。そんな彼に、チラカシストは一つ依頼をする。

「あの資料、くれよ!」

セイトニストは、ものの数十秒(場合によっては数秒)で目当ての資料を見つけ出す。

整理整頓が大好きな彼らの机の中は、いつだってラベルが貼られたフォルダが整然と並び、またPCのデスクトップ上には最小限のアイコンしか配置されていない。そんな彼らの頭のにはどの資料がどのフォルダに格納されているのかという情報が、これまた整然と並んでいる。

蔑んだ顔で資料を差し出すセイトニストと、満足げに目を細めるチラカシスト。かつて反目しあっていた二人が、チラカシストの歩み寄りにより、ついにタッグを組むまでになったのだ。

その後、泰然とした顔で資料を差し出すチラカシストと、小刻みにに頬を引き攣らせながらそれを受け取る上司という画が展開されるが、こんなことはこの際どうでも良いので詳しくは書かない。

 

いかがだっただろうか。

「ちょっと、あの資料出してくれない」

ゴールは同じでも、そこへの取り組み方、考え方は前者と後者で大きく異なる。

一方は、特に考えることなく短時間で資料を見つけ出し、それを渡す。そこに人の営みはない。それは単なる作業であり、頭を使うことのない脊髄反射的な対応だ。

しかしもう一方は、それを作業とはとらえない。前者と比べ圧倒的に不利な立場の中だからこそ、どうすれば目的を達成することができるのかを必死に考える。創造的な思考方法で、0を1に、無を有に変えようとする。そしてミッションクリアした暁には、凄まじい達成感が全身を浸すのだ。

 

今、ここまで読んだあなたが、セイトニストとチラカシストのどちらを目指そうと考えているのかは分からない。もしかしたら、ここまで読んでも、「やっぱ散らかすやつって糞やん」などとノータリンな過激思想を抱き続けているかもしれない。

でも少なくとも、僕はチラカシストを応援したいと思う。

 

例え、その後上司から二度と資料提供を求められなくなったとしても。